神の癒しや奇跡の体験
虐待と癌からの癒し
S・Kさん
私は3人姉妹の真ん中で、弟が生まれた時に実の母が亡くなり、小学校に入る頃に新しい母が来てくれました。その母から、すぐに虐待を受けるようになりました。なぜか、姉と弟は普通にご飯を食べたり、おやつを食べたりしているのに、私はおかずが少なかったり、食べさせてもらえなかったり、お弁当もご飯に梅干しだけとかで、同じようにしてもらえませんでした。
父は漁師だったので、冬の間は東京の方へ仕事に行ったり朝早く出かける事や、家にいない事が多く、父がいない時は朝の4時には起こされて母達が起きる前から家のストーブに火をつけてご飯支度や、冬は雪投げ、夏は草むしりなどをしてから学校へ行くような生活でした。家に帰ってからもなかなか友達と遊びに行かせてもらえず、家の手伝いばかりをしていました。そして、家の中にある鍋やデレッキが曲がる程叩かれたり、踏みつけられたり、背中を針でさされたり、ということが毎日のようにありました。
とにかく、家の中では安心していられなかったので、風邪をひいて学校を休んだ事は1日もありませんでした。学校だけが、私にとって安心できる場所でした。学校から帰る途中は『明日は学校へ生けるかな』『今日は死んじゃうんじゃないかな』と、暗く絶望的でした。母に対しては、恐怖心と憎しみを抱いていて、絶対にいつかは自分のされた事の全部を仕返しし殺してやろうと思っていました。他の人に対しては、そんな自分の事を知られたら恥ずかしくて惨めになってしまうと考え、大人になるまで人に話した事はありませんでした。
そんな中でも生きる希望だったのは、母と離れて姉と一緒に暮らす事でした。姉はいつも、私が高校を卒業したら一緒に暮らそうと言っていました。それで全てが解決すると思っていました。しかし、いざそのことが現実になろうとしていた時に、姉が自殺をしてしまい、全ての希望が断たれてしまいました。その後、お金を貯めて21歳の時に父に初めて手紙を書き、
1:これまで母にどんなことをされてきたか。
2:これからは一人で生きていくので家には戻らない。
3:私に子供としての関わりを求めないで欲しい。
と、自分の思いを伝えて家を出ました。
そして環境が変わり、これからはもっと自由で楽しく新しくやり直し出るはずでしたが、『母が私を殺しに来るのではないか』という恐怖心が頭から離れず、仕事をしても心が落ち着かず、長続きをしなくて更に自信を失い、毎日お酒とタバコで気持ちを紛らわすようになり、もう生きていても仕方が無いから自分も姉のように死のうと思うようになりました。
そんな時、牧師先生の奥様の美方子先生が開いていた『羊飼い』という喫茶店に入りました。帰り際に『ヨハネの福音書』という小冊子を頂いたので全部読んでみました。すると、今までに感じた事のない、温かく優しい何かが心に溢れて、イエス・キリストの事を知りたいと思うようになり、喫茶店に毎日通いました。
イエス・キリストは私が苦しんでいるときは黙って見ていないで、立ち上がって一緒に泣いてくれていた、私のこれまでの全てを知っていてくれているという事にホッとし、抱えていたものを下ろし始める事が出来、その後教会に行ってイエス・キリストを信じて洗礼を受けました。
それからは毎日、朝から夜まで祈りました。祈ると神様がいるということを感じられて嬉しかったです。自分の必要を祈ると、不思議な方法で仕事に就く事が出来、日々の必要が備えられ、本当に神様が私の全てを知り、いつもそばにいてくれる事に感動でした。
しかし、教会生活を過ごして行くうちに色々な方と親しくなり、教会に批判を持っている人達と一緒に批判をし、教会を離れた時もありました。その後、卵巣がんになり、残り3ヶ月の命と言われ、牧師夫妻はじめ、教会の皆さんが必死に祈ってくれました。私自身は思い出す限りの事を悔い改め癒されるように祈り、更に赦せなかった母を、本当の意味で赦す事が出来るようになりました。そして、そのタイミングでガン細胞が消えて癒されました。それから20年近く経ち、今でも定期的に検査を受けていますが1度も異常はありません。
教会に来る前の私は、誰よりも不幸な運命で何をしてもダメだと思っていました。恐れ、孤独、不安から逃げ出したくてもどうする事も出来ませんでしたが、イエス様が私を愛して、命を捨てて下さったことを知り、そのイエス様が一緒に歩んで人生を切り開いて下さる事を信じ、将来に対して希望と安心を持てるようになりました。
イエス様が私を、恐れ、孤独、不安から解放して下さいました。結婚も諦めていましたが、素晴らしい伴侶も与えられ、感謝の日々を送っています。
『苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。詩篇119:71』
タバコとアルコール依存症からの解放
H・Mさん
教会に来る前の私は「自分で何でも手に入れられる」「手に入れられないものは無い」と考えて、何とかして欲しい全ての物を手にするために毎日を過ごしていました。しかし、このように進めば進むほど悩み、苦しみ、脱力感、無気力、不安、焦り、苛立ちなどのストレスは大きくなりました。解消することは決してありませんでした。
社会人なって間もなく、大人の付き合い、たしなみの一つとしてお酒を飲むようになりました。飲むと“なんだかいい気分”になります。飲まないでいると、元気が無いように思い、“調子悪いな〜”と思い「こういう時はまず一杯!!」とまた飲んでしまう。そして飲めない時はタバコを吸い、お酒とタバコはセットのようでした。自分の部屋のように行きつけの店へ行き、3度の食事よりもお酒とタバコを選び、寝起きで水のように飲むことも…。飲まない日はありませんでした。職場の後輩からは「手が震えているけど大丈夫ですか?」と言われることもありました。それでも気に止めず、冗談だと受け止めていたのです。当時の私は、これが普通だと思っていました。もちろんやめたいと思うわけがありません。むしろ、楽しんでいました。飲んでいなければ普通の生活すら出来ない状態です。これはアル中です。自分では全く気付いていませんでした。このような生活が15年以上も続きました。
ある日、知人を通してマナチャペルの存在を知らされました。「日曜礼拝に行ってみたい、行きたい!」と思いました。そして初めて礼拝堂に入るなり「ホッ」として涙が出ました。「私に帰る場所があったんだ」「私は一人じゃないんだ」と温かい気持ちになりました。心の中を埋め尽くしていた激しい感情、否定的な思いから解放され、とってもすっきりして明るくなりました。「私はやり直せるかも」とい希望が差し込んできました。教会に何回か来て、礼拝メッセージや賛美、聖書の御言葉に触れていくうちに、今までの自分の思い、考え方、言葉や行動に間違いがある事に気づきが起こされる事が幾度となくあり、自分の罪深さを知っていきました。悔いる気持ちが沸き上がってきました。「イエス・キリストは、私の全ての罪を赦すために、私の身代わりとなって十字架に架かり、血を流されました。イエス・キリストだけが私の救い主です。イエス・キリストだけが癒し主です、信じます。復活の命を信じます。私の心に来てください。私の人生に来てください。」と、受 け入れた日から、新しい自分の姿を知る事になりました。今、こうして新しい人生を歩みはじめたことは、私には考えられないほどの恵みです。心から感謝します。
今はお酒を飲まずにいられるし、断ることもできます。タバコもそうです。夜な夜なふらつくこともなくなり、昼間の仕事をしています。他にも変えられた事があります。よく眠れる、毎朝新しい日々が始まるんだと喜びで目覚める、リストラにあっても新しい仕事が与えられた、礼拝に来ている、聖書を読んでいる、鼻歌が賛美に変わったなどです。
その後の聖書の学びが始まって変革され続けていることが4つあります。
1 聞くこと
2 考えること
3 学ぶ姿勢
4 言葉と行動です。
学びをする前の自分は、人の話を聞いていないし、よく聞くことができない。文章の内容を理解できない、意味を受け取れない。「結局それって〜でしょう。」とか、「だから〜なんでしょう」「それ聞いた!知ってる、知ってる!」とよく言っていました。一度聞いたら、「学んで身についた」と思い違いをし、記憶に残っているものは「できること」とし、復習することも考えることもなければ、積極的に実践することもありませんでした。また、1つのことを考えているようでも、心に不安、心配、問題が生じるとそれについて考えてしまい、何について考えているか分からなくなる有様でした。でも諦めずにこの学びを続けているうちに、人の話を聞いたり文章を読むときには「注意深く一つ一つの言葉から受け入れよう」という心に変わっていき、何を私に伝えようとしているのかよく知ろうとして、よく聞いた上でどのように歩んだら良いのか、行動したらよいのかを考えるよりなりました。また、わからないことを「わからない」と言えるようになり「それはどういうことですか?」「もう一度聞きたいです」と言って、落ち着いて考えられるようになりました。慌てて、急いですぐに答えなければならないということから解放されました。学んでいく中で、「もう考えられない!全然わからない!どうしたらいいの!」という時もありましが御言葉がいつも励ましてくれます。
『私が言っていることをよく考えなさい。主は全てのことについて理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。 第二テモテ1:7』
この学びで信仰で歩む生活、毎日全く新しい人生を歩み始めています。
アルコール依存症からの解放
S・Hさん
以前の私は自己中心でイエス・キリストを隅に追いやり、自分の好きなように生きる。日曜礼拝だけ出ればいいやと思っていました。また自分のお酒だからといって約30年間日本酒を1.8リットル1本、ビール500 ml2本を毎日飲んでいました。アルコールを飲まない時期は、胃潰瘍で緊急手術で入院していた時だけで、退院すると、同じことを繰り返していました。アル中でした。
しかしある日、聖書の学びを通してふと私の心の中に『あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。』という御言葉が聞こえ、悲しんでるイエス様が見えたように感じました。「自分は必要のない人間」「生きている価値のないもの」「死んでも悲しむ人がいない」そんな思いから逃げ出すためにお酒に逃げている自分の姿も同時に見たように思います。
その御言葉が私の中に来てから、お酒に手が行くことがなくなりました。私は、主が1番喜んで下さる事はなんだろうと考えました。そして、御言葉である聖書を通読するためにパソコンに入力し、その御言葉が今の自分に何を語ってくださっているのか、その意味を知るために祈るようにしました。また、牧師先生を始め、兄弟姉妹のことを歩きながらでも優先的に祈れるようになりました。
お酒を飲むことがなくなったことも、パソコンの入力も今現在も続いています。
この他にたくさんの証があります。随時更新予定です!